子どもがいないからと言って子育てが下手なわけではないんじゃないだろうか
私はかろうじて既婚ではありますが、子どもがいません。
おまけに仕事柄教育職なもので、保護者から子どもがいないから親の気持ちはわからない的な事を言われる経験もしています。
正直、子どもを盾にしてくるスタイルはやめていただきたいと思います。
その反面、親の気持ちはかけらもわかりませんが私は子どもの気持ちはよくわかります。
親の気持ちと子の気持ちは別物です。
親は親の視点から子の気持ちを慮ったつもりになっている場合が多く、子どもの成長にとってありがた迷惑になる事もあります。
近年その傾向が強く、ヘリコプターペアレンツという言葉も生まれているほどです。
無関心でも良くない、過保護でも良くない、子育てとは非常にセンシティブなものであります。
さて、子どもがいない子どもおばさんの私はなんとかちゃんママとかいうキャッチーな肩書きがありません。
日本は伝統的に、子どもがいれば社会的に認められる的な風潮があります。
それは下から順番に、
①独身パートナーなし
②独身パートナーあり
③既婚子なし
④既婚子あり
と数字が大きくなる程に偉い!となります。鼻で笑える。
そこに離婚歴まで入れてくると複雑なチャート構造になってしまいます。
バツが付いている数が多い程、ろくでなし(もちろん諸説あり。disってませんので悪しからず!)だが生物的に魅力があるとかいう水掛け論にもなってしまいます。1人で何回も結婚した事のある人VS結婚歴なし的な深い討論は気のおけない友人との半個室でだらだらやる飲み会だけで充分です。
さてこの中で最もボリュームが少ないゾーンが③の既婚子なしになります。
既婚子なしというのは、恋人同士とは明らかに違います。
かつて友達だった人たちもどんどんステージを変化させて、私を切り捨てて行きました。南無三!
なんというか意外と冷たい視線を浴びるのです。
さらには、わざとかわざとではないのか子どもかわいいよ!とか聞いてもないのに言われたりするのです。
こいつ空気読めないなと心の中でボッコボコにしています。
しかし、それも仕方ありません。
同じカテゴリーでないと会話するネタがなくなるので、段々と同じカテゴリーの人間としか付き合わなくなるのが普通のようです。
そもそもつるむとか、お馴染みのメンバーと頻繁にとかいう概念がない私にとってはどうでも良いのです。
幸いなことに、我が親友は二児の母になった今でも家族ぐるみで遊びに来てくれます。
同じカテゴリーの中で精神的に楽しない人は、相手が嫌なことは言わないものです。
過去記事参照
※国賓級もてなしの友人
そもそも居心地の良さは大切ですが、イエスマンばかりでも良くありません。
遺憾無くディスカッション出来る事が健全な人間関係であり、一つ一つ問題を解決していけば良いのです。
そうして人間関係は積み上げていきますが、中にはどう考えてもこれ以上付き合ったらまずいことになりそうな相手とはきれいさっぱり手を切ることも大切な事だと思います。
そういう意味では、負の加点方式がバックグラウンド起動しながらジャッジのタイミングを見ているというところでしょうか。
子なしに不要な子自慢と子を理由にした言い訳は地雷と覚悟せよ。
傷ついてるよ、けっこうしっかりザックリ。
さて、そんなわけで昔は子どもなんて嫌いと思っていましたが、どうやら子どもの方は私の事が好きなようです。
今は子どもは好きな方ですね。子ども好きなの〜ってテンション高めに言う人の偽善な感じは好きではないです。子どもが好きというのは改めて言う事でもなく、好きじゃなかったら教育職は難しいです。子どもたちはかわいいばかりじゃもちろんありません。手放しにかわいいのは家族から見た時だけだということを私はハッキリわかっています。
そして、どれだけかわいがっても家族でいないのでという理由でギリギリ搾取するだけして拒絶する親もいるわけです。
経験上、子どもが好き、教えるのが好きと言っている人程教育職は向いていません。今日日このアダルトチルドレン社会では子どもから見透かされます。
私は教員免許を持っているものの教員になっておらずニートを貫いています。
雇われる教育というのは、つまり教科書通りの教育でしかありません。金太郎飴を製造してどうするのでしょうか。
だったらペッパー君を並べておけばいいのです。能力にばらつきがないどころか見た目のばらつきもありません。
勉強が出来るだけの子でいいなら、それもまたペッパー君の方がよほどそこら辺の人間ほとんど全てよりも出来ます。
今日日勉強できるからってなんなの?という感じなのです。
だからと言って、日本は未だ学力至上主義的な部分が色濃く応用が利かないペーパーテストに重きを置いているようなところもあり
あーめんどくさい、教師にならなくてよかったー!ニート最高!
と思っています。
とは言え、昨今2ヶ月程市内の小学校へ出入りして教鞭をとっていたので教師の楽しさもよくわかります。まあこの場合は、自分で授業設計を考えて自分の好きにできたため、型にある程度はまっていなかったから楽しかったのかもしれません。結局外野から言っているのみだからです。教員の皆様お疲れ様です。尊いお仕事です。
しかし、色々と日々の面倒は持ち込まれてきます。
職業はニートですが、副業として教育関係の事を細々とやったりして自転車のパーツ代を稼いでいる感じです。
こんなスタンスで子育てできるのか、というとできるのです。
子育てとは親と社会の両方ですることだ
これです。
昔は近所のおじさん、おばさんも自治に参加し町ぐるみで社会能力を育てるような環境があったようです。
しかし今や凶悪犯罪、ゲリラ犯罪、隣に住んでいるのはよく分からない人と警戒しながら生きており学校、習い事や塾、家庭の多くて3つのコミュニティーの中で社会を学ぶことになります。
家庭だけは社会能力を育てる力が弱いです。家庭は社会ではありません。家庭は家庭です。
習い事や塾も内容によりけりです。
学校は話によると、最近では生徒にコミットしないコミュニケーションを選んでいるそうです。
勉強さえできれば、社会的な問題を起こさないように、この2点を押さえた結果が今の子どもたちです。
別に何が悪いかって話なのですがここからです。
そんな子どもたちがどうして毎週走って教室にやってきて、プライベートな事を話し、私の話を聞き、仲間と協力して問題解決をし、自立思考力をつけているかです。
それは私、つまり子ども歴の長い私が経験してきた事をフィードバックしているからです。
親になると、もはや身も心も親となり価値観もアップデートしていきます。
人はステージが変わるとアップデートするのが普通であり、進化、最適化なのです。
私は子どもとしてのプロ、子どもバージョンが高い高性能子どもなのです。
子どもたちは年齢が低いからといって理解できないわけではありません。
知っている言葉に言い換えれば、全て理解します。中には理解できない子もいますが、必ず理解する時がきます。それがその子が成人してからかもしれませんが。
私はそれを知っている。
信じてくれて預けてもらっている子どもたちにはとことん、私の経験と知識をフィードバックして最強のサバイバル能力を授けようというところ。
信じられないから離れていく方も当然、合わないのはしょうがないけれど私の中にデータが溜まるのでありがたく感謝で見送ります。
そもそも子育ては子は育つのですから、もっともっと社会が協力すれば良いのです。
おそらく私も子どもが生まれたら、やたら人に頼ろうと思います。だから、人の面倒を見てあげる事も苦ではありません。
心の中で舌打ちしたり、ボッコボコにしたり、暴言を吐きまくる事も多々ありますが、私もきっとそう思われているでしょうからお互い様で助け合おうという心持ちで過ごしています。
中には知ってか知らずか、ホスピタリティの搾取をしようとする人もいるので注意しなければなりません。
「自分の子育てとよその子育ては違うから、生まれたら大変だよー」
と脅かされることもありますが、あまり心配していません。
既婚子なしもとうが立つと、年齢的に精神が落ち着いているので対応力が高いです。
その分体力がもたない懸念はありますが、人海戦術、ゲリラ戦の子育てを楽しみに皮下脂肪で膨らんだお腹を撫でる冬日なのでした。