つーる ど 日常茶飯事

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認知症の祖母の話を真面目に書く①

認知症は本人よりも家族が苦しい

これが祖母がおかしくなってからの日々を一言で表す言葉です。

介護福祉は自治体によってサポート力が違います。思うように支援してもらえないことばかりです。

実際に介護をしている人を外から好き勝手言って手も貸さない、お金も出さない親戚に苦しめられる事は非常にあるあるです。

家庭の中でも介護に対するスタンスが違えば喧嘩ばかり起きていきます。

離れて暮らしているけれど、渦中にいて感じた事をゆっくり何回かに分けて真面目に書いていこうと思います。

※書き始めた頃、祖母が入所する施設が決まりました。

その施設が決まるまでの動きと家族の気持ちについて書きたかったのですが、後半出てくるように事態は大きく変わりました。

元々祖母は毒祖母

家族だから手放しに愛があって人格者ではありません。

宗教的世界では、儒教でもキリスト教でも年配に敬意を払ったり家族への愛があったりします。

しかし実際は家族であろうとろくでなしはどう転んでもろくでなしでしかないのです。

それでも犯罪者でないだけ社会的にはましなのかもしれません。逆に、犯罪者でもろくでなしでも家族だから愛があると言える人も世の中にいるかもしれません。

私はそうではありません。

ろくでなしは家族であろうとろくでなし。

なぜならば、祖母自身からそのように教育されてきたからです。そして、その祖母自身が正直なところろくでなしであると私は残念ながら思っています。

バブル期の中で祖母イズムを叩き込まれて育った幼少期

祖母は美意識が高い人でしたが、とても躾に厳しく私は家事手伝いを幼少の頃から仕込まれていました。

しかし、料理など技術的なものではなく雑用、荷物運び、掃除、おつかいなどの平たく言えばパシリのような仕事が多くゆっくり座って休むということができませんでした。

食事はみんなが手をつけてからでないと食べてはいけないとか、私だけ残り物の冷たい食べ物を食べたりとかそういう感じでした。

しかし祖母は、女はそういうものだと言っていました。自分はいつも出来立てのあつあつホカホカの食事を食べていました。

私は祖母イズムを叩き込まれていたので、年長者だから仕方ない自分は年少者だからと思っていました。

しかし、私は一生年少者であって大人になっても何才になっても奴隷だと言われているようなものだと少しずつ気がついたものです。

お前は女だから、底辺のクズだ、バカだ、グズだ、穀潰しだと言われて育ちました。

兄にはいつも温かい出来立ての食事や、おやつ、ジュースが用意されていましたが私の分はありませんでした。兄はいつも手放しで褒められていました。

母がこっそり祖母のいない内に私に色々食べさせてくれました。そのかわいそうという母の気持ちが大きすぎたのもあり、残飯処理で残り物をポリバケツ代わりに食べさせられたのもあり70kgの肥満体に成長しました…。

後々、母から祖母は性格のキツい人で嫁いびりがひどく妊娠は病気じゃないと臨月を迎える真冬に雪かきを何時間もさせて流産しかけたり、流産してもいいから金を稼いでこいと働かされたりした鬼のようなエピソードを聞かされて震え上がりました。

この鬼のエピソードが母の嘘ではない証拠に、叔母も祖母から女ばかり産む女腹のできそこないの嫁のような事言われて今でも腹が立っていると酔っ払った時にうっかり口を滑らせていました。

ひどいモラハラです。

また、反面男性に対してはキャラが全く違いか弱くて可愛い女を演じており祖母がそんな鬼女だなんて誰も信じていませんでした。

そんな二面性のある祖母だったので、認知症を認められない息子である父と叔父は実介護者である母に辛く当たることが多く母は酷く追い詰められました。

私にも祖母の血が流れていると思うと吐き気がして、生きているのが申し訳なくなります。

祖母の悪行

祖母は生粋の怠け者です。お嬢様育ちというか、要領よく都合のいい嘘をついたりしてチヤホヤされて生きてきたせいかびっくりするぐらい怠惰な人間でした。

まだ認知症になる前は、高い美意識のおかげもあって掃除をしたり(やらせたり)整頓したりする事もありましたが、如何せん私という小間使いがいたり兄を可愛がって洗脳して色々やってもらったりしていたので、自分ではほとんど何もやっておらず定位置にずーっと座ったり寝転がってテレビを見ていました。

運動も苦手で自転車も乗れず体を動かすのが嫌いで、免許もないので車にも乗れません。勉強も自分は頭が良かったと言っていましたが、どう考えても知識量は少なく新聞を読み終わるまでに毎日5時間費やしていました。

また仕事をしないのに家業の帳簿は握っていて、祖母が認知症になってから発覚したのですが長年に渡り横領に近いことをしており貯まるはずの貯金が全て祖母のポケットマネーとして数百万円に渡ってちょろまかされていたこともわかりました。

そして祖母が資生堂で1番高い12万円ぐらいする美容クリームを年間いくつも買って愛用しており、化粧品代だけで毎年少なくとも60万円は使用していたことがわかりました。

年金暮らしなのに羽振りがいいなとは思っていましたが、祖母の洗脳恐怖政治の上では誰も不思議に思わなかったようです。

私は逆恨みで資生堂の化粧品が大嫌いになりましたし、プチプラコスメしか買わなくなりました。

大人になって私が正論を言うようになると、家族や親族は皆私が反逆者だと口汚く罵倒したり時には実際に暴力もふるわれました。

それでも母の躾もよく祖母の悪口なんて聞いたことがなかったので、祖母の事が大好きで尊敬していた幼少期でした。

近況

もうすぐ実家からお迎えが来て年末年始の帰省だと思っていたら、祖母の様子がおかしく大きな病院で精密検査をしなくてはならないから迎えに行けないしなんなら迎えに行けそうにないから、どうするか夫に相談してみて欲しいと実家より連絡があった。

本当に深刻な事になってきた。


私自身も精神的にかなり弱っているところを最期の力で、家に帰れるんだって思って耐えていたけど帰れなくなった。


私は元々祖母なんか嫌いだった。

嫌な女で最悪だ。

認知症になる前は嫁いびりに孫娘いじめ、息子と孫息子だけ可愛がり甘える。

認知症になってからはあんなにいびっていた嫁である母を、面倒みてくれるからどういうつもりかひとりじめして甘えて迷惑をかける。

私は子どもの頃からずっと、真正面から庇護してもらえることなんかなかった。

やっと臨月目前で真正面から大切にしてもらえるようになったと思ったら、横から祖母にかっさらわれる。

やっぱり私は一人で頑張らなくちゃいけないのか…。夫は私が自力で見つけた唯一の家族です。10年色々な事がありながら子どもという鎹がない状態で信頼を構築してきた、子どもありきではない本当の人間関係だと思っています。

 

しかし、私は生まれてきて最初に与えられた家族から手放しに愛され不安なく優しさに包まれるという体験が薄い。

幼稚園生の頃から自立を促され、甘えることを否定され、子どもらしさを叱られ大人の振る舞いと労働力を求められた。

家族に対するコンプレックスが異常に強くて歪んでいるのは間違いがない。


祖母がそのまま死んでくれたらいいのにって心から願ってしまう。

そうしたらみんな楽になるのに、早く私の囚われている心を解放して欲しい。