さあいよいよお母さんが実家から住込みで来てくれるよ!
私ってなんて悲劇のヒロイン!
だと思っていたのか?
妊娠継続8ヶ月目頃からメンタルの不調と祖母の件があり、絶望OF絶望でしたが祖母の入所が決まってからようやくほっとして精神が安定しました。
祖母が嫌い!と思いながらも、おばあちゃんが好きだった私の心を素直に下手くそながらちょろっとブログ記事にしたのも良かったかもしれません。
祖母なんて嫌いだけど、やっぱりおばあちゃんは家族だし好きなんだって気持ちを少し思い出して、全部思い出すと悲しくなるしやりきれなくなるから。
さておき、悲しみ、苦しみ、疲れ、やるせなさ、怒り、不安でいっぱいだった我が家もにわかに私の出産ムードが優位になってきました。
もう分娩手術予定日まであと3日なんですけどね。
実家から母が住込みでお手伝いに来てくれるよ!
これってすごい幸せな事では?
悲劇のヒロインから一転してバブみの強い幸せな展開に!とは言ってもこれは決まっていたことなので、住込みお手伝いに来てもらうために奔走してもらってきた感じになります。
遅かれ早かれ祖母は施設に入所しなければ在宅介護は無理がある状況なのは予測できていました。
先が見えないストレスでありもしない影に怯え、人を羨ましく思い逆恨みするような日々でもありましたがようやく3日前にしてテンションが爆上げです。
なんでって、産まれて初めて最初で最後のお母さんからの愛情を独り占めできる1日なのです。
両親は常に先に生まれた人(兄)や私を愛していたと思います。
しかし、日々のタスクやトラブルを乗り越えながら家族、親戚、友人、知人と時に平等に時に優先順位をつけながら接してきました。
それは生きていれば当然で、社会性を尊び筋を通す事を良しとする両親にとっては重要な事でした。
しかし、愛されたいばかりの子どもである私の心はずっと満たされず今の今も満たされていません。私だけを見て愛して欲しかったという心の欠損を感じたまま自分が母親になろうとしています。
それが、出産2日前に私のためにやってくる母と手術の直前まで最優先事項私という状況がやってくるのです。
本来ならば、子どもの頃にこういった愛情は満たされて安心して育っていくのでしょうが私には親の愛によって安心して社会と関わるという経験が不足していました。
それによって常に孤独感を感じ、不安で一歩踏み出せなかったり踏み込んだ人間関係を築くことが困難でした。
人によっては甘えていると感じるのでしょうが、幼少期からの家庭環境は人格形成に大きな影響を与えるのだと自分が一番実感しています。
自分の努力では埋められないものがあります。
この10ヶ月間で以って、祖母の問題によって精神的に耐える事も多く追い討ちをかけるように配慮ない言葉をかけられることも少なくありませんでした。
そう考えてしまうのは、経験則からくるものであって今後は成功体験や幸せな体験の経験を増やして塗り替えていくしかないと考えています。
自分がこの10ヶ月間で受けた嫌な思いというのは相対的には少ないのでしょうが、人との関わりをセーブしてきたので関わる人の母数から言うと嫌な思いをする事が多かったです。もう付き合うのやめよ。
社会ではそんなの当たり前、と夫を始めとして励ましなのかなんなのか言われる事があります。しかし少なくとも今のところ社会に出ていない私をワンクッション否定している意味を含んでいることにも気づいていないのも公害だから産廃処理施設でその人たち燃やしてクリーンな環境にして欲しい。あ、夫も燃やしちゃった。
さてたった2日でも私自身が最優先であると思うことで、更に自分が納得して母というステージに上がれるのではないかなと思います。
なんでも念には念を入れた方がいい
人によるとかケースバイケースの事は予測がつきません。
私に限って大丈夫と思っていた事は全て裏切られました。元来、私は神経質な性格ですがメンタルの病気になりやすいので意識してビシッとするのをやめました。
しかし、細かくきちんとやらないでうまくいかないとやはり計画を立てて修正しながらやった方が良かったかなという気になってきます。
人に任せると人が完璧でない事が納得いかず、その人の事を信用しきれないので適当にやられるぐらいならば自分でやった方が良いと思ってしまいます。
しかし、今回ばかりはもう決めています。
1ヶ月は日常歩行と最低限の子どものお世話しかしない。
私は過剰な責任感から無理をして病気になる事の多い半生でした。
これによって多くのチャンスを失ったと思います。だから、あえてやらない。無理にも働かない。
これぐらい腹を据えて念を入れてやらないと決めないと貧乏性で動いてしまうからです。
でも体調に合わせてどんどん遊ぼうとは思います。人生は遊ぶためにある!
思えば祖母以外の家族は体を壊してまでお金を稼げなんて働く事を強要したことはありません。
「働きたくないし遊んで暮らしたいならー?」
という上の句を夫が読み
「夫の世話と手入れをして毎日媚を売るー」
という下の句を私が読むという幸せな標語が我が家にはあるぐらいです。
「欲しいものがあるから今から媚を売ります」とかいう発言もよくしています。最高にクールな関係だと思っています。
「部長になると奥さんは働かなくていいらしい」
という格言も存在しますが、それは夫の会社拘束時間が長くなり私の思い描く幸せな家族の絵ではないので、だったら週3回6時間パートに行くから土曜日はみんなで遊びに行こうねというアンサーソングをリリースします。
さて、むしろ両親はよそに借金もせずローンも組まず、親にお金をせびることなく、身の丈に合わせて堅実に生きながら好きなことをして自由に生きている事を人として認めてくれていたように思います。
親は何も立派な人間になって欲しいなんて思っていません。何も成し遂げろなんて求めておらずただ幸せに笑って暮らして欲しいと思っています。
自分もおそらく最終的には子どもにそのように願うでしょう。最初はあれこれと親のエゴをぶつけてしまうかもしれないけれど。
満34年の子ども歴に終止符を打つのに相応しいです。
両親にとっても、老いたとて子どものためにやってあげられる久しぶりの大プロジェクトが始動したわけですから張り切ってもらいたいところです。
もちろん、高齢ではありますがお義母さんも同様の気持ちだそうで母同士電話で話しているそうです。
ちなみに、やはり両母たちの中ではお腹の子は男の子という確信があるようです。
たくさんの人から慕われているわけではないけれど
一億総いいね社会なので人と比べて数で判断する事も指標の1つとなってきました。
私はこの10ヶ月間、人と比べて数の暴力で勝手に苦しむ事が何度も何度もありました。
私は人と関わる事が苦手で1人やほんの数人の親友と過ごす方が心地よいです。
それなのに、大人数でワイワイしている人と比べては自分は人から慕われていないとか信用がないと思っていました。
そういうのいらないですね。一般人だし、そもそも煩わしいから1人が好きなのだし。
自分がなりたい姿がそうであるかというと、そうでないのに人は心がぐらぐら揺れるものです。
お母さんが来てくれるというだけで、こんなに嬉しいのだからそれでいいんだと思います。
産まれた時から家庭の環境が違うので、明らかに自分より恵まれている人はいます。
そういう人とどう接したら逆恨みとか嫉妬しないでいられるか今の私にはわかりません。
それがわかるようになるまでは、心がざわつく相手とは付き合わない事にしようと思います。
そうでなければ誰も得をしないと学びました。
私も恨むのが趣味ではないのです。私だって悲しいんです、理想とか夢とかあります。
とりあえず、真っ白な地図だけ持ってる
とりあえず今は先のこと全くわかっていません。
理論上の事はわかりますが、そもそも子の性別すらわかりません。名前も決めていません。新生児用の服もジェンダーの関係で最低限しか用意していません。
だけどお金で解決できる事は1分で決着がつく事が多いので心配していません。
お金で解決できない部分は少し面倒です。
お母さんが来てくれるというトピックだけでこんなに爆上げするほど、根が深い問題であったりします。
そんな自分がお母さんになるのはとても不思議な事でありがたい事だと思います。
しかし、おそらく私は私のままだと思いますし急に変わったら嘘だと思います。
人生という直線から垂直に立っているのが多くのターニングポイントだと考えています。人生自体は直線であって、決して他と交わるものではないからです。
同様に産まれてくる子どもに対してもすでにそのように思っています。新しい個人の誕生です。