つーる ど 日常茶飯事

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認知症の祖母の話を真面目に書く②

現在の祖母の状況

現在の祖母は脳梗塞を併発して入院継続中。両親の対応が早かったので、問題になっているのは左足首が曲がらないところだけです。

話しかけたり「あえいうえおあお」の発声練習や滑舌練習をさせたりしていたので舌がもつれることも回避しました。

特定されてしまうかもしれませんが、家業がリハビリに関わる事でもあるので父は専門家と言える職業です。可能な限り出来ることをやっています。

ただ、祖母は環境に流されやすい性格で認知症脳梗塞の併発患者の大部屋に入れられているのでどんどん自分は病気だというマインドワインディングによって、病気だから仕方ないと楽な方楽な方に流れようとしています。

あーあーうーうーと昼夜を問わずに唸る声に眠れないからと、睡眠薬をもらって飲んでいるので四六時中ぼーっとしています。

後で触れますが、認知症になる原因にが考えられると思っています。

両親はせっせと毎日通ってリハビリの手伝いや世話をしていますが、それがなかったら一気に寝たきりになり認知症も進んでいくでしょう。

祖母の認知症は不要な投薬とアルコールにあったと考えている

さて、ここからは時間を戻しておかしいなと思い始めた2年前の話です。

年を取れば睡眠時間が少なくなるのは当たり前です。

それなのに祖母は眠れない眠れないと健康なのに病院で睡眠薬をたくさん処方してもらって飲んでいました。

それも60代の頃からです。現在は86歳です。

祖母は睡眠薬のせいで日中も昼寝をします。そしてまた眠れないので睡眠薬を飲みます。

こんな生活をしていたので、体もだんだん動かすのが億劫になってくるし体に神経刺激が入らないので脳が退化してきます。

そして、夢遊病のように夜中家の中を徘徊して物を落として壊したり食べ物を食べ散らかしたりするようになりました。

お酒を飲む人ではなかったと思ったのですが、電話で酒屋に注文してこっそりビールをたくさん購入し閉じこもって昼からビールを飲んで寝るという立派なアルコール中毒になっていました。

アルコールと睡眠薬を併用し、明らかに頭がおかしい様子になっていました。

しかし勝手にアルコールを購入しているなんて知らない上に、空き缶を押入れに何百缶もぎっしり隠していたので発覚が遅れました。

やたら養命酒を飲むペースが早いというところからおかしいとなり、家を捜索してようやく発覚しました。

2年前の当時、お酒の空き缶や食べ物を隠してそのまま片付けないので、玄関から入ったらすぐに家の中がわけのわからない悪臭で体調が悪くなる程でした。

その頃の祖母はまだ歩けていました。

私は祖母が認知症なんて思わなかったので、ただただ怠け者でゴミを溜め込んだりアル中な祖母が気持ち悪くて不潔で嫌でした。

人には一銭でも稼げと言っていたのに。

祖母が寝ているうちに母に言って、賞味期限切れの食べ物や腐っている物を大量に捨ててやりました。

母は腐っていても勝手に捨てると怒るので触るなと言っていましたが、なぜそんなことになっているのか家を出た私には到底理解できず家族みんながおかしくなったと思うだけでした。

出来ることが少なくなる

だんだんとできていたことができなくなります。

酒屋さんの電話番号がわからなくなったのか、自分でビールを注文することができなくなりました。

それでも祖母は実質的なアルコール中毒から抜けられず、大量に漬けてあった梅酒を海苔の大瓶サイズで8本程を飲み干し漬けてあった梅も全て食べ尽くしていました。

それに気がついた母が、こっそりと梅酒の瓶を持ち出し中身をノンアルコール梅酒に詰め替えて戻すという作業をしました。

その時の流れで、私の手元にも梅酒がひと瓶と大変珍しいマタタビ酒がひと瓶あります。欲しい方います?漢方酒です。

梅酒がノンアルコールと気がつかないけれど、酔わないから美味しくないと気がついた祖母は母が何かしたと激しく怒るようになり、ついにはそんなもんさすがに飲まないやろ…というようなマムシまで飲み干しました。

 

田舎なのでマムシが捕れると焼酎に漬けておきます。それをガーゼに染み込ませて喉に巻くと風邪が治るとかでよくマムシガーゼを首に巻かれました。風邪は治りましたが首はかぶれました。

 

祖母は異常に酒と食べ物に固執していて、一日中酒を飲んでは食べ物を溜め込み腐らせて放置してというような行動をとっていました。

 

また冬になると寒いから布団から出たくないのか、一日中布団の中にいて排泄物を漏らしたりするようになりました。

お風呂に入っていないのに入ったと嘘をついて、汚れた下着で過ごしていたようです。

あまりに臭いので引っぺがしてみたら汚物まみれになっていて、言い合いになるという状況が何度もあり私も祖母のお尻拭きや汚物まみれの下着の処理を手伝ったこともあります。

まだこの頃は動けたのに、自力でお風呂に入らず母にお風呂に入れてもらっていました。

認知症とは全く思えない様な状態だったので、これもまた理解出来ず嫌な気持ちでした。

役割がないとだめになる

祖母は働くことが嫌いな面倒くさがりやで、趣味もなければ友達もおらず、ただゴロゴロしてぼーっとしているのが好きな人でした。

体も動かさなければ頭も使いません。

そして、責任感もないのでなんの役割も持ちませんでした。

人間はそれではだめなのです。

以前は美空ひばりのCDを聴きながら写経をしたり、プランターや鉢植えでガーデニングをしたり、一輪菊を育てたりしていました。

それは祖父の趣味で、祖父が亡くなった事をきっかけに叔父から促されて趣味を引き継いだのでした。

その前は裁縫が好きで、幼少の頃にはキルティングの生地でリュックサックをいくつも作ってもらいました。

私はそんなおばあちゃんが大好きでした。

どうしてそんな祖母がダメになったかは、おそらく祖父の死がターニングポイントだったのではと考えています。

祖父の死後、全員が祖母を甘やかした

64歳で亡くなった祖父の死後、祖母は当然のように悲しみました。

それを全員ーーつまり私の父と叔父が中心になって祖母を祭り上げました。

祖母はみんながチヤホヤしてくれることに気をよくしたのか、随分時が経っても涙を流していないのに泣いたそぶりをしたり悲しみを語ったりしました。

男はバカだから女の嘘泣きはわからないものです。

どう見てもみんなからチヤホヤされたいバカ女そのものだと思っていました。

おそらく口に出さなかったものの、母も気がついていましたが波風を立てるような人ではないのでそんな事を話すことはありませんでした。

何かやって欲しい事があれば、「おとうちゃんが居なくなったからやれない」と言えばみんなが動きます。

こうやって少しずつ少しずつ、祖母が困ったらやってあげなくてはいけない空気が出来ていきました。しかし、思えばどう考えてもさすがにそれぐらい自分でやれやみたいなことすら人にやらせていたので明らかに図に乗っていたと思います。

それでも祖父の趣味を引き継いで、写経を始めたのはすごく良いことだと思っていて家族みんなが応援していたのですが目が悪くなって嫌になったのかちょうど600枚を書き上げたのを区切りに一切やめてしまいました。

また、一輪菊もガーデニングも70歳になる前にやめてしまいました。

例えばコンクールに出すなどの目標があれば良かったのかもしれませんが、自分でそんな事をするような人ではありませんでしたし祖母が実はこんなにも怠惰な人間であるとカケラも思っていない叔父や父がサポートして社会と関わらせるなんていう発想も全くありませんでした。

認知症にならないための方法

コミュニティを持ち社会と関わらせること。これは重要だと思います。

祖母のように引きこもってダラダラしているだけでは認知症になって当然です。

会話をするというのは、多角的に脳を使うので多くの神経刺激を受けて活性化しますからおしゃべりするだけでもいいのです。

祖母の口癖は「うるさいから黙れ」でした。昔からおしゃべりをする気もなければ人の話を聞く気も全くないのです。

ちなみに父もそうでした。

我が家は他愛のないおしゃべりがなく常に緊張感に包まれテレビの音だけが聞こえるような家庭でした。

話したいことがあっても誰にも話せない家だったのです。

 

今はこんな事になり、両親と3人過ごすときには他愛のない話もするようになりました。

怒らせないように言葉は選んでいますが、父も強い祖母イズムが植え付けられいますから少し警戒しています。

それでも父はこの2年間でかなり変わりました。祖母イズムで祖母崇拝だったのが、少しずつボロボロになり死を選びそうになった母の姿を見て変わらざる得なくなったのだと思います。

母が追い詰められて自殺しようとするので私もしばらく実家に戻っていた時期もありました。

認知症は本人の責任でもあるのに、家族や周りの人に大変迷惑をかけた上で本人は無責任に生きていきます。

きれいごと言う気は全くなく、本人の努力で回避できる事を回避しないと言うのは完全に怠慢でしかないと思っています。

私は今後どんどん老いていく両親を甘やかす気はありません。年寄りだからやらなくていいとは言いません。

何歳からでもスタートラインだと、体を動かすように時には厳しく言いますし食べ物にも気をつけさせサプリメントで栄養補助させました。

運動こそ今は余力なくやれていませんが、サプリメントを飲むことはきちんとやるようになりました。

最新の近況

祖母の施設入所話にまた暗雲が立ち込めているようです。

いくら言語が出ても体も動くと言っても左半身不随と一度病院から施設に連絡が行ってしまったことにより、施設から相変わらず拒否されているようです。

入所契約の翌日に入院したという経緯から、非常にセンシティブなやりとりがケアマネさん、介護福祉士さん、病院の担当者さんを含めて行われているとの事。

 

一度安心したのにまた両親の眠れない日々が続いていきます。

 

妊婦検診で逆子が治らないからあと2週間後に手術にしようかと打診されましたが、さすがに予定日が繰り上がりすぎてしまいます。

一人で入院して産むのは仕方ないのですが、手術には麻酔を使用するので家族の立会いが必要です。夫が休めるかどうか…。

両親も初孫出産をなんとかサポートしたいという気持ちと、祖母を放っておけない正義、忠義、仁義というせめぎ合いに苦しんでいます。

 

どうか、祖母の命は多分あと2年は確実に大丈夫そうだから両親を救って欲しいです。

そして、私は正直淋しくて悲しくてつらくて心細くて不安な毎日ですが元気で健康な我が子にもうすぐ会える事だけを楽しみにして過ごせたらと思います。